パワーエレクトロニクスはどこへ行くのか

 パワーエレクトロニクスは,William E. Newellの1974年の著名な論文"Power Electronics---Emerging from Limbo"によれば,「エレクトロニクス」,「パワー」そして「コントロール」といった技術の境界に存在する工学と述べられている.そしてそれは,パワーをコントロールできるエレクトロニクス素子,すなわち半導体素子によって支えられてきた.

 1947年のトランジスタの発明以来,パワーエレクトロニクスに適用される半導体素子はサイリスタ,GTO,MOSFET,IGBT,IGCT,IEGTなどが次々と出現してきたが,現在はこれまでのSiに代わる次世代のSiC,あるいはGaNを用いた次世代の素子が市場に投入され,パワーエレクトロニクスは新しい展開を迎えていると言われている.

 しかし,パワーエレクトロニクスへの要望・期待は産業界からは高まっているものの,残念ながら一般社会からの関心は低いままにとどまっている.それは,まず「パワーエレクトロニクス」という言葉を知っている人はそもそも少ないことや,「インバータ」などという単語でさえも耳にしたことがある人はかなり少ないことをみてもよくわかる.これではパワーエレクトロニクスに興味をもってくれる高校生も少なくなるのも仕方ないだろうと思う.しかし,それではこの分野の人材不足を招いてしまう.問題なのである.

 数年前,ある大阪大学の教授の最終講義において,産業界において重要視されているのに大学ではそうではない分野というのが紹介されていて,そのリストの一番上にパワーエレクトロニクスが書かれていたのを見て腰を抜かしたことを覚えている.そうなのか,私の分野は大学では軽視されているのか.その現実を知ってショックを受けた.まぁ,大学でさえそうなのだから,一般では認知されていないのもやむをえない.

 そもそも,パワーエレクトロニクスはいくつかの工学のすりあわせ,システム工学であり,応用分野である.基礎学問ではないから軽視されるだろうし,ノーベル賞にも縁がないだろう.そして関心がもたれない一番の理由は,私たちの周囲において,パワーエレクトロニクスは「技術」として姿が見えにくいからではないだろうかと思われるのである.

 でもそれも仕方がない,とも思う.なぜなら,パワーエレクトロニクスの目標は,小型化,高効率化,高機能化である.これらの目標が達成されればされるほど,装置は小さくなり,音は聞こえなくなり,人の目にふれないところへ押しやられていく.元来,そうした性格をもった技術なのである.それでいて複雑な制御を実現して便利になっていく.現代社会の利便性を支える「縁の下の力持ち」的な技術なのである.

 それでは,これからパワーエレクトロニクスはどこへ行くのだろうか.電力,鉄道,自動車,家電などいくつかの分野があるので様々なベクトルがあるだろうが,そのひとつには,ますます便利になって,ますます人の目にふれなくなっていくという方向があるように思う.そして私は次の言葉を思い出す.
"Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic. "  (十分に進んだ科学技術は,魔法と区別がつかない)
      ~アーサー・C・クラークの第3法則より~
そう,パワーエレクトロニクスが行き着くところは魔法の実現ではないだろうか.たとえば200年前に生きていた人が現代の技術をみたときに,魔法としか思えないものも多々あるに違いない.回路はますます高効率・高出力となって小型化され,人々の目の前からその存在を隠していくことになるだろう.そして私たちは,その存在を意識することなくその便利さを享受するのである.気づかれなくたっていい.みんながパワーエレクトロニクスが実現する魔法で便利に暮らすことができるようになるのであれば.それはパワーエレクトロニクスのゴールの達成なのだから.

ただ問題は解決されないままである.魔法の実現によってパワーエレクトロニクスに興味を持ってくれる若者は増えるだろうか?いや,ますます気づかれることなく,ますます減るに違いないのである.なんとも悲しい運命をもった技術なのかもしれない.

*この文章は,私の個人的なブログ(2016年1月1日付)からの転載です


佐久間周波数変換所に残されている水銀整流器



人気の投稿